━━━━━紺色の青年に教えてもらった通り、エアリーと大聖は館を目指した。 館の名は…、オクトラーケンという名前らしい。 かつてこの海の世界に存在していた、貴族の末裔とその知り合いが過ごす館らしい。 見慣れない世界で、見慣れない建物の中へ足を踏み入れる。 館の入り口付近まで行き、誰か呼べないかと周囲を探る。 陸での出入りとは勝手が違うため、出入りがしづらかった。 扉もなければ城門となる柵もない。代わりにあるのは、館全体を囲うように建つ、高い塀だった。 いや…その塀も泳いで渡ってしまうことが出来るため、防御壁としての役割は担っていないようだ。 防御とはいっても、外敵からの攻撃から身も守るためのものというよりかは、 自らのプライベートを守るために建てられているのだろう。 その塀の高さに泳いでいき、塀の上を歩くようにして探る。 陸では不安定なその行動も、水中なら安全に行うことが出来た。 …すると、館の周辺で小さな海老のような人物が、 周辺に生えている海藻に手入れを行っているのを見つけた。 その海老…、水の世界特有の種族である甲殻人は、 海中にある海藻を、両手そのものである鋏で根基を切り、 その後細かく切っては食べていた。 「…水の世界の人って、外に生えてる海藻をそのまま食べてるのな。」 その光景を、少し信じがたいという目で大聖が見ていた。 …大聖のこの呟きが聞こえたのか、その甲殻人の少年も振り向く。 水の世界ではまず生きられない陸の者達を前にして、ギョッと驚く。 それで、驚いたままの顔で、塀の上に立っている2人の目の前まで近づく。 「あ、あ、あ………!!」 見慣れないどころか、見れない者を目にし、目を大きく見開いては固まっていた。 そんな少年を見て、2人は無理もないと納得する。 本来はあり得ない出会いというものが、今こうやって実現しているのだから。 驚く少年が気付いてくれたことをありがたそうに笑いながら、 先にエアリーが塀から降りる。 「あ…、驚かせちゃったみたいね。まぁ、無理もないか…。  普通なら、わたしも大聖も水中にはいられないもんね。」 「あ…、貴方達はい、一体…どちら様ですかっ!!?」 「あなたが驚いているように、わたし達は陸の世界から来た人達よ。」 「で、では…やはり…!!」 少年が問いかけると、エアリーが胸板に手を当ててそう答えた。 …陸の者。それがわかると少年の顔つきがガラリと変わる。 それは、ここに来る前に見せた、海の者達のモノと同様の表情。 「貴方達が、陸の方々なのですねっ!!?  一体、このオクトラーケン家に何のようですかっ!!?」 「あの…、実はこの海で物騒なことが起こってるって聞いて…。  それを頼まれたうえで調べてるの。」 「この海で起こっていること?それはやはり…。」 「…?…何か知っているのか?」 少年がきついトーンで叫べば、エアリーは少しあたふたしながら正直に答えた。 すると、その返答内容に心当たりがあるのか、少年は4本ある腕のうちの2本を組む。 少年の変化を見て、大聖もハッとして塀から降りる。 エアリーと大聖。2人が並んだ姿を見て…少年は一度落ち着きを取り戻そうと首を横に振る。 「…それならば、仕方がありませんよね。失礼しました。」 「あれ?意外とあっさり聞いてくれたわね。  わたし達が陸の人だって知って、何も思わないの?」 「住み場所がどうであれ、頼まれたのであればそれに逆らえますまい。  それは…陸に限らずこちらでも同様ですよ。」 「文化や住む種族が違えど、そういう社会的なことは同じなんだな…。」 少年が頭を下げ、丁寧に謝罪するのを見て、 2人は興味深そうに…不思議そうな顔をした。 頭を下げた後、少年は再び顔を上げて説明に移る。 「拙者はこのオクトラーケン家の一員。プティと言います。  拙者の種族は水の世界特有のモノ。海老や蟹などが人型へ進化した甲殻人というものです。」 「プティか…。すまないな、いきなりこの館に侵入して…。」 「いえ、それはお互い様ですよ。陸の者とはいえ、  海で起こっている事件の解決に努めてくれるなら、  この館の者は例外、歓迎してくれることでしょう。」 「そうなんだ!よかった。あの人の言ってたことは本当だったみたいね。」 「…?あの人とは?」 「あ、ここに行ってみるように勧めてくれた人がいてね。  紺色の髪に、背中に紺色の翼みたいなのが生えてた人!」 「紺の髪に、紺の背鰭………━━━━━!!!」 甲殻人の少年…プティが話すのを聞き、今度は大聖も謝った。 その謝罪を受け、プティも両腕を振って困った顔で笑う。 軽く歓迎する意思を表すと、エアリーがホッと安心する。 すると、プティがエアリーの台詞にピンと来て、反応を示す。 「紺の髪と翼のように生えた背鰭…。これに何か心当たりがあるのか?」 「………はい。よろしければ聞いてもらえますか?」 「あぁ、俺は構わない。エアリー、お前は?」 「わたしもいいわよ。」 「そうですか、ありがとうございます…。」 プティの様子を見た大聖が問うと、プティは肯定して頷いた。 それで、海で起こっている事件が発生する前からの異変を、説明し始めた。 「………実は、数か月前からこの館に戻らないお方がいるのです。  そのお方は、貴方達が話して下さったように…、紺の髪と背鰭を持っているのです。」 「…?わたし達が話したその人が、ここの人かもしれないってこと?」 「はい…。まぁ…、確かな証拠はありませんが…。」 プティの説明にエアリーが問うと、プティは自信のない様子で頷いた。 紺の髪に背鰭を持つ人物は、この館にもいるらしい。 ただ、それを聞いてもこの様子なのは、それが特徴とはいえ断定は出来ないためだろう。 それらの特徴を持つ人物が、プティの言う人物と同一であるという証拠にはなりにくい。 「その彼がいなくなったこと、海で起こっている事件のこと。  ………館の主であるお嬢様が、毎日不安になられながら過ごしています。」 「お嬢様…?」 「はい…。このオクトラーケン一家を束ねるのは、  シェリー・オクトラーケンという名の貴族の末裔です。  …拙者から話せることは、前者のことだけです。  海で起こっている事件ということに関しては、お嬢様の方がご存じかもしれません。」 「その主が知ってても、あなたは知らないってこと?」 「申し訳ございませんが…。なぜなら、その事件はこの海で起こっているのではなく、  お嬢様が言うには………深海で起こっているらしいのです。」 「…深海?…深海って何?」 「深海というのは、多くの人々が住むこの海よりも、更に深いところだそうです。  拙者ごときでは…、あんな暗くて水圧の強い場所には入れないのです。」 「………。」 プティが落ち込んだ様子で話すのを聞き、エアリーが次々に問い詰める。 質疑応答をいくつか繰り返していった結果、 このプティは…、それ以上のことは知らないようだった。 …それ以上のことは知らない。 ならば、実際に館の中へ足を踏み入れ、その主…シェリーに会うしかなさそうだった。 大聖がそう答えを出し、プティにこんなことを頼んでみる。 「…なぁ、プティ。失礼だとは思うが…。」 「なんでしょうか?」 「俺達を、そのシェリーとやらに会わせてくれないか?  彼女が、その事件のことを知っているというなら…。」 「………。」 大聖が頼みこめば、プティは悩ましそうな顔をする。 眉を寄せ、顔をしかめては頭の痛そうにしていた。………しかし………。 自分達では、彼を探し出すことは出来ない。 自分達では、深海に向かうことは出来ない。 主は知っているようだが、あの…彼以外の者に重大責任となることは話そうとしない。 「…本来ならば、拙者如きがご判断出来るものではないのですが…。」 ………日々不安になっている主のためになるなら………、やむを得ないか………。 「………わかりました。貴方達を特別にこの館にお入れしましょう。  お2人がこの館に侵入した、それに関する責任は………拙者が負います。」 「プティ、本当っ!?」 「はい。それで…、  あの2人が再び逢えるのなら………━━━━━。」 答えを聞き、エアリーと大聖が嬉しそうな顔をした。 『やかた』 「━━━━━へぇ〜!水の世界の建物ってこうなってるんだ!!  2階と3階の床が一部開いてて、そこから泳いで移動出来るようになってるのね!!」 「エアリー!!もうちょっと遠慮がちにしろ!!  俺達は、特別に入れてもらっている部外者なんだぞ!!」 「あはは、お2人とも仲がよろしいのですねぇ。」 館に入る許可を得て、プティに案内されるままに内部を移動していた。 外が陸と異なれば、中も陸と異なる部分が沢山あった。 建物の中にイソギンチャクやポリープ、サンゴなどが繁殖し、 建物の隙間から魚が群れを作って泳ぎ回っていた。 また、本などの軽い物は天井に浮かび上がり、家具などの重い物が床に置く形になっていた。 魚などの食料となるものは、長い紐に括りつけて管理していた。 その光景の多くが、陸とは異なるものだった。 「海の人達は、生き物とは常に共存してるの?」 「はい。水の中ですからね。言葉を話さない彼等はどこにいようが自由ですよ。」 「?…じゃあ、放し飼い同然ってこと?」 「言葉が悪いぞ、エアリー。一見そうでも、意図的に飼っているわけではないだろう。」 「そうですね。拙者達が望んで飼っているわけではありませんからね。」 壁や天井、床の隅っこに付着している海洋生物を眺めながら、エアリーが問う。 エアリーに問い方に大聖が叱れば、プティは4つの手を広げながら説明した。 「隙間さえ設けておれば、勝手に生き物が入ってくるのですよ。  その生き物を放置するのも、食物として管理するのも、各世帯次第です。  ただ、それが食べられるか食べられまいか。その違いですかね。」 「自分からいかなくとも、獲物の方から近づいてくるのね。」 「そうです。なので生物の豊富なこの海域では、食物の奪い合いというものは滅多にありません。  鰭脚類などの例外もおりますが………。」 海の文化を簡単に説明しながら、プティは2人を主の元へ案内していった。 陸の者と会うのは、おそらく初めてなのだろう…。 海の世界を知らない者に自分達の世界のことを話しているプティは、どこかイキイキしていた。 ………主の元へ向かう途中、エアリーと大聖は同時に後ろを向いた。 この長い廊下を進んでいる最中、プティの説明に紛れ込んで誰かが…自分達を見ている。 その気配を察し、2人が後ろを向いてその誰かの姿を見つける。 その誰かの姿は、前を歩いているプティと同じくらいの背の高さ。 青白い、かつフード付きのレインコートに、青い海に同化している青いスカート。 そして…、エメラルド色の耳の鰭を持っていた。 その少女が、慣れないのかビクビクしながら見つめていた。 …しかし、2人が振り返ったことに気付くと、 「━━━━━きゃああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!こ…怖いですうううぅぅぅぅぅぅっ!!!!」 『ブクブクブク…!!………バンッ!!!!』 甲高い悲鳴をあげて、2人から逃げるように姿を消した。(…実際、逃げたのだが。) その直後、壁に勢いよくぶつかるような音が響き、振動が起こる。 高く大きな悲鳴に、2人は一緒になって耳を塞ぎ、目をキュッと瞑る。 …この悲鳴にプティが気付かないわけがなく、後から振り向いては苦笑いを浮かべる。 「…すいませんね。うちの者がご迷惑をおかけしまして。」 「あの…、今の女の子は?」 「えぇ…、彼女もこのオクトラーケン家の一員です。」 耳を塞ぐのをやめ、エアリーが気まずそうに問うと、プティが答えた。 その…魚人の少女がいなくなった後を見つめながら、溜息をつく。 「彼女はクライン。この館の住民なのですが…、臆病なのですよ、彼女。  見慣れないモノを見ては、あのように逃げ出してしまうのです。  ここが海ではなく陸なら、近くの水辺まで走って飛び込むくらいですからね。」 「臆病って………、大方俺達が原因か?」 「他に誰がいましょう?拙者でさえ貴方達は見慣れないというのに、  普段からビクビクしているクラインさんが、びっくりしないわけがないですよ…。  …ただ、どうか悪くは思わないで下さいね。それがクラインさんというものですから。」 「ん…?あ、あぁ…。まぁ…、ありのままの自分をさらけ出せるというのはいい事だと思うぞ。」 少し疲れた様子のプティの説明に、大聖がぎこちなさげにフォロー。 しかし、その後のプティの呆れの入った様子に、気まずくなって押し黙る。 「ここはもともと水の中だから、水じゃなくて壁にぶつかったってことね…。  あの子…、クラインって言ったかしら?いつもああなの?」 「えぇ…。なので彼女は困難に立ち向かうことが苦手で…。  貴方達陸のお方を含め、慣れてしまえばどうってことはないのですが…。」 ………そう話すプティの身体が言っている。…それを残したままでは、致命的だと。 プティの疲労した様子を見て、大聖はもうそれ以上は触れまいと口を閉ざし、 反対にエアリーはというと…、あえてクラインに自分の夢を話してみようか、と思案する。 逃げたクラインを追うことはしない。プティは一先ずはと主のところへ案内することにした。 …すると、今度は入り口がぽっかりと開いている部屋を見つけた。 その一歩手前でプティは立ち止り、部屋の中を覗き込む。 覗き込んだ部屋の先にいるのは、殆ど寝ている鰭脚(そきゃく)人。 起きているときに編んでいる編み物を両手に握ったまま、椅子に座って眠っていた。 その様子を確認した後、プティは2人の方をくるりと向く。 「プティ、どうしたの?」 「いえ…、お嬢様を含め、館の者達には貴方方の事情を説明しておいた方がよろしいかと思ったのですが…。」 「だろうな。………で、その誰かがこの部屋の中にいるのか?」 「はい。」 「なら、なぜ入って説明しようとしないんだ?」 「それは…。」 ふと立ち止まり、プティが自分達の方に振り向くことで声をかける。 大聖の言っていることは、プティとしてもその通りなのだが、 プティはまた…、溜息をついた。 「まぁ、貴方達もお顔ぐらいは知っておいた方がいいでしょうね。拙者についてきて下さい。」 「ん?あ、あぁ。」 プティがそう促すと、2人も後をついていく。 部屋の中に入り、プティに連れられるままその誰かのところへ向かう。 ………それを見た2人は、プティがなんで溜息をついたのかを理解した。 爆睡である。 ………爆睡である。 こんな時間に、よくこれだけ眠っていられるものである。 時間を考えてもまだそんな時間ではないし、昼寝にしては活動時間を削り過ぎている。 アザラシの顔のような模様が記されたナイトキャップ。 思わず頬を摺り寄せたくなるような、ふわふわの襟のボレロ。 夕焼けの海の景色が描かれた寝巻。 そして…、顔を半分を隠しているマフラー。 「…オタリさん。ちょっと、オタリさんってば。」 「………ぐぅ〜。」 珍しい来客を前に、オタリと呼んだ鰭脚人を起こそうとプティが身体を揺さぶるも、 オタリは一向に起きる気配を見せない。 大きなお腹に両手を当てては、眠っていた。 「住民の誰かに話しておきたいんですよ、お2人がお嬢様にお会いするのを!」 「ぐぅ〜…。」 起きてと声をかけながら身体を揺さぶるも、それは反って心地よい揺れにになってしまっているらしい。 オタリは…、更に気持ち良さそうに寝がえりを打った。 椅子の上で、器用に横を向いて眠っている。…それはまるで、「起こすな。」と言っているかのように。 オタリの様子の変化に、プティは起こすことを諦めてしまったのか、4本の腕をだらりと下ろした。 「………仕方がありませんね。起きないなら………。」 『━━━━━シャキンッ!!!』 「………っ!!!?」 …が、ならば意地でも起こそうと、プティは4本の鋏を構えた。 それを見た大聖が、慌ててプティを取り押さえる。 「ま…待てっ!起こすためとはいえ攻撃することはないだろう!?」 「大丈夫ですよ。鰭脚人はちょっとやそっとじゃ切れない、厚い脂肪を持っていますから。」 「そういう問題じゃない!攻撃してまで起こす必要があるのかと言っているんだ!」 起きないオタリを見兼ね、真剣になっているプティに対し、 ギョッとしながら大聖がやめるように言った。 「最低限、プティ…お前さえいればいいだろう?  後にそうした方が安全だからといって、怪我をさせてどうするんだ!  それに、お前達の主が指示を出せば、皆はそれに従わざるを得ないんだろう!?」 「………。」 必死になって訴えかける大聖の台詞を聞き、プティは構えたまま考える。 「…そうですね。お嬢様がご命令を下さればそれまでですからね。  今しようとしていることは、拙者の独断ですね。」 「まったく…、独断に独断を重ねる気か?お前の責任がますます重くなるぞ?」 大聖が訴えることで、プティはそれを聞き入れてくれた。 プティが鋏を降ろすのを見て、大聖はとりあえず一安心する。 ………ここまでの2人のやりとりを見ていたエアリーが、ポツリと呟く。 「………なんか、ここの人達って個性的な人達が多いわねぇ………。」 ………自分が知る陸の常識人達を想い浮かべ、ギャップを感じた。 そして、その台詞は主にもそのまま言うことが出来ることを知るのは、もう少し後のこと。 「━━━━━なら、仕方ありませんね。クラインさんとオタリさんとは後にお話するとして、  まずは貴女達をお嬢様にお会いさせましょう。」 「権威者との御対面ってことね。緊張しちゃうなぁ。」 結局、オタリを起こすことなく部屋を出た3人は、 寄り道(?)をすることなく主の元へ、向かうことにした。 主のいる場所は、そう遠くはなく、あと少し歩けば着くくらいの距離らしい。 エアリーと大聖は、身体をシャキッとさせてプティの後へ、ついていった━━━━━。 『━━━━━もうすぐ来るのね………。』 その2人が、何を望んで自分のところへやってくるのかは、もうわかっている。 この1つしかない眼は、僅かな光でも見抜くことが出来るのだから。 この海のあらゆる変化は、波となって、光となって自分の元へ伝わってくるのだから。 何もかもを覗いてしまうほどの、大きな1つ眼。 それをギョロリとさせて…、 権威者、シェリー・オクトラーケンはえっけんの間にただずんでいる━━━━━。 『E-03 たんがん』に続く。