━━━━━………回りを見回せば、そこに存在するのは、漆黒の闇。 どこを見ても、支配するのは黒、黒、そして…黒。 光が差しこむことによる、色彩の変化すらない…この暗い世界。 目の前に人や生物がいたとしても、その姿を確認することが出来ないくらいに、暗い場所。 ………そう、そこは深海。こんな暗い場所を知る者達からは、『魔境』とも呼ばれている。 実在していそうでしていない、どこもかしこも暗闇の覆われている現実が、ここに…ひっそりと存在する。 深すぎて、光が届かないがために、一年中このようなことになっている。 こんな暗い世界でも、人や生き物はいるというのか。 自らの視覚の中に捉えることの出来ない個々の存在は、耳を澄ませることでようやく確認出来る。 静かにしていれば、水は泡立ち、砂は流れ、生物の声がする。 こんなところで生きていくために、手と鼻を駆使して食物となるモノを探すしかない。 こんな世界に…、1人の青年が帰ってきた。 その青年の右腕には、青い海でもチラリと見せていた…あの武器が装備されている。 青年はそれを装備したまま、深海にあると言われている熱水マントルへやってきていた。 熱水マントル。青い海に存在するオクトラーケン一家の1人、シェリーが話していたのがこれだ。 これは、海の水温や季節に応じ、必要なときだけ開閉される。 マントルの奥は、温水を生み出すための高温な熱水が溜まっている。 この熱水が地下から海で出される工程で、深海の水と混ざって、 丁度いい暖かさの温水になるというわけだ。 …地下に溜まっている熱水なんて、どれくらいの量であるかは誰にも想像つかない。 ただ、この熱水が一気に発射されようなら、周囲の水温は一気に上昇し、 生物は耐えられなくなり、人々は暑さに苦しみ…命を落とすことになる。 高い温度に抵抗力の少ない海の者にとって、高温の水を浴びるということは命に関わることなのだ。 一気に噴射されればされるほど、熱水の層は大きく頑丈なものとなり、 いくら海や深海の水があっても、すぐに温水に変わることはない。 そして、その熱水が継続的に噴射されようとなれば、非常に危険だ。 しかし、この熱水は使い方によってはエネルギーにもなる。 人工的に噴射させなくとも、熱水は物凄い勢いで流れるため、 これを利用して膨大なエネルギーを短時間で作り出すことが出来る。 青年は、装備している兵器のエネルギーをチャージする部分からチューブを取り出し、 それをそのまま熱水マントル付近で固定させた。 その後、装備している兵器を真上に掲げ、閉じていた銃口を開けた。 ………熱水マントルから噴射された水が、チューブを通して兵器の中へと入っていった。 兵器の中に搭載されている、エネルギーを生み出す基となっているプロペラが、 熱水の噴射の勢いに乗り、高速回転を始めた。 この高速回転で、自分が今装備している兵器のエネルギー…、 そう、電気が生み出されるのだ━━━━━。 「━━━━━海の波や渦潮では、この兵器のエネルギーを貯めるにあたって時間がかかってしまう。  それをしようとなれば、やはりこの熱水マントルを利用するのがベストだな。  穴が大きくなれば成程効率もよくなり、エネルギーが一気にチャージされるよ。」 …熱水マントルの熱水を兵器の中へ送り、人工的に電気というエネルギーを生み出す。 自分にこの兵器を与えた者達が言うに、この手法は…水…? 水力………発電………?………確か、そのようなことを言っていた。 兵器の中に送り込まれ、内部に搭載されているプロペラ部分を通り、 そこを通り過ぎれば…、銃口を通して鉄砲水となり、空へと飛んでいく。 それに加え、効率と膨大なエネルギーを求めるにあたり熱水マントルを広げた。 熱水マントルに溜めこまれていた熱水は、一気に噴射され間欠泉となっていた。 鉄砲水と間欠泉。この2つが…、海の世界に異変を起こしているということは、己も自覚している。 しかし、兵器を手にしたところで…もう後戻りは出来ない。 自分は、すべてを失う覚悟で…あの主のためにまっとうするだけなのだから。 「…いける!この兵器を使えば…!海はおろか陸の者とも戦えるっ…!!」 自信に満ちた笑みを浮かべた。その笑みには…悪意というものはなかった。 自分がしたいことをして、そしてそれが誰かのためになるということの確信。 「…あの人達は、おれにこの兵器を渡したこととの交換条件として、  純人間を片っ端から始末してほしいと言っていた。」 ━━━━━でも、それをこなすこなさないに関わらず、あえてその指示には逆らわせてもらうよ。 ………おれがやることは、ただ1つ。それは、陸の者が海に入ってこられないようにすること。 おれが陸の者にとって脅威となろうが、それで…海の皆が…お嬢様が幸せになれるなら、それでいい。 おれは、この兵器を持って断罪する。 勝手に別世界、場を荒らし、世界を混乱させ、そして命を奪う者達に、鉄槌を下す。 『………そうだよねぇ、ネクラ?』 ………どこかで、ここにはいないはずの者を呼ぶ台詞が、聞こえた………。 『━━━━━海の者にとって、勝手に領域に侵入する陸の者達が、忌々しい以外にありませんわ。』 それは、ここに来る前に…自分の主が言った台詞。 主がそう言ったならば、自分はただ、それに全力を尽くすだけだ。 青年は、エネルギーの溜まった兵器を片手に、暫く熱水マントル付近で静かに過ごしていた━━━━。 『かくせい』 「━━━━━何も見えないわよ…?一体、今はどこを進んでるの…?」 「あたくしがご案内しますわ。あなたの肉眼では、光通らぬ場所では何も見えないことでしょう。」 その頃、深海にある熱水マントルの様子を見に来たエアリーとシェリーが、 海の更に深い場所…深海を目指して奥へ進んでいた。 海底に近づけば近づくほど、エアリーの視界からは何も… 誰も見えなくなり、やがて目の前が真っ暗になった。 そんなエアリーを導こうと、シェリーがエアリーの背中を押しながら前へと進んでいく。 「シェリー…、こんな暗い場所でもわかるの?」 「えぇ。言いましたっけ?あたくしはこの深海で生まれ育ちましたから。」 エアリーが尋ねると、シェリーが小さく笑って答えた。 聞こえたのは声だけで、真っ暗であるためエアリーからはシェリーの表情を伺うことは出来ない。 一方、シェリーの方はこんな場所でも景色が見えているようで、 キョロキョロと眺めながら、慎重に進んでいった。 「ねぇ、見えるんなら教えてよ。深海ってどんな景色なの?」 「お教えしたところですけれど、お褒めになられる程ではありませんわよ。」 「えー!そう言わずにさぁ。陸の人であるわたしが、海の底の世界に来れるなんて一生ないわよ!」 「そうですわね。お入りになられたうえに、身体も潰されてはおりませんものね。」 「あー!綺麗に流されたっ!!」 エアリーが好奇心旺盛に動こうとするが、シェリーに止められた。 ならば、せめて今目の前に広がっている光景はどんなものなのかと聞くが、 シェリーには教える気はないらしく…、素っ気なく答えた。 質問を無視されたエアリーは、大きな声で騒ぐ。 その響く声は波と闇の中へ溶け込み、消えていった。 「あんまり騒がないで下さい。騒ぎすぎると生物が驚きになって襲いかかってきますわ。」 「〜〜〜〜〜っ!!!」 「あたくしも一種の素質なる力は持っておりますけれど、戦いの知識はございませんことよ?」 「………うぅ、わかったわよ。」 騒ぐエアリーを見て、シェリーが軽く叱るようなキツめの声で言うのを聞き、 エアリーは即座に声を出すのをやめて、口を閉じる。 それでも、好奇心を撥ね退けられた感情が抑えられないのか、腕や脚をバタバタと動かしていた。 それを見て、…まだ懲りないのかと考えたシェリーは、釘を刺すように忠告した。 ………この深海でまともにモノが見え、動くことが出来るシェリーは戦えない。 それなら、もし万が一のことがあれば、一体誰が身を守れというのだろうか。 観念したのか、エアリーは騒ぐのをやめた。 騒ぐのをやめ、遊泳ルートの指揮をシェリーに任せる。 その後、暫く沈黙が続く。 「………。」 ふと、エアリーが控えめな様子で、シェリーにこう話す。 「ねぇ、そういえばさ…。」 「なんですの?」 「そのプロンジェって人…、いつからいないの?」 「………………。」 エアリーにはシェリーの表情は見えない。 反対に、シェリーにはエアリーの表情が見える。 先程の騒がしい様子とは打って変わって、どこか淡々とした静かな声でエアリーが聞いた。 …すると、シェリーは顔を俯かせて、寂しそうにする。 「………いつからいなくなったのか、ですか…。それは………。」 「………それは?」 「………………。」 「シェリー………?」 「………………ごめんなさい、忘れてしまいましたわ。」 「え…?」 エアリーが聞いてみると、シェリーは黙り込み、少し経つと…そう、ポツリと呟いた。 顔を俯かせたまま、エアリーと視線を合わさずに…小さな声で言った。 「……………覚えておられないくらい、もう結構な月日が流れてしまいましたの。」 「え?じゃあ………わからないってことよね………?」 「………えぇ。ですから、プロンジェのことを考えると、………不安になってしまいますわ。」 「………。」 「…本当に、…今頃どこで何をしておられるのかしら。  何の噂も、お便りもなく…、その日以来、  あたくし達はプロンジェのことについて何も知らされておりません。  しまいには…、愛想をつかれてしまったのかとも考えてしまうくらい………。」 「………シェリー。」 俯いて…、俯いて…、俯いて…。酷く落ち込んだ様子でぼそぼそと話した。 先程までは、オクトラーケンの主としての威厳を見せていたシェリーが、 これほどまでに不安がってしまう程…強い気持ちを抱いているようだった。 ………彼のことを考えると、不安になってしまう。 愛想をつかれてしまったのかと、離れていってしまったのかと、不安になる。 彼のいない日々が続けば続く程、心の奥底に不安と恐怖ばかりが募っていく。 ………相手がエアリーという女性ということもあり、この手の話は異性よりもしやすいのだろう。 今こうやってシェリーが自分の気持ちを話したのは…、 愚痴を聞いてもらう際に共感してほしい、そんな感じに似ていた…。 見ず知らずの者とはいえ、自ら望んで海の世界に…この深海に来たエアリーなら。 シェリーの様子を見ると、エアリーの顔からも笑みが消えていった。 シェリーの話を聞けば聞くほど、その変化と事情を信じられないと愕然とした顔に変わった。 確かな証拠も、記憶もない。自分はプロンジェという人物のことをまだ何も知らない。 そんな自分が言うのもどうかと思うが、このまま放っておけばシェリーが落ち込む一方だ。 未だ顔を俯かせたままのシェリーの近くで、エアリーは少しだけ考えてみる。 ほんの少しだけ黙り、やがてニコッと笑った。 「━━━━━………シェリーってさ、プロンジェのこと…好きなんだ?」 「━━━━━っ!!!?」 …見事に当てられたその気持ち。エアリーの呟いた台詞を聞き、シェリーはバッと顔をあげた。 やっと上げてくれた顔は真っ赤になっており、もともと大きかった単眼を更に大きく見開いている。 「………図星みたいね。」 「………っ。」 微笑むエアリーにそう言われ、シェリーは両手で両頬を覆う。 恥ずかしそうにしては、その場でヘナヘナと座り込む。 ………その様子は暗い深海にいるため見えないものの、立てた音が、あげた声がそれを証明していた。 「…プロンジェの方はシェリーのことをどう思ってるのかは、今は聞けない。  でも…、今の時点じゃあまだそう決まったわけじゃないでしょ?」 「………!」 「実際にプロンジェを見つけるまで、彼を信じてみたら?  落ち込むのは彼が見つかって…そこで愛想をつかれたってわかってからでもいいでしょう?」 「………エアリー………。」 「あなた達の仲は知らないから、わたしからはそれくらいしか言えないわ。…ごめんね。  ただ、1つ言えることは…あなたが好きなプロンジェを見つけるために、  あなたがすすんでプロンジェを信じてあげて、行動に移さなきゃ。」 「………。」 「女はよく甘え上手でなきゃいけないっていう話をよく聞くけど…。  それでも、男性も女性も助け合いっていうのには変わりはないんじゃない?  あなたが今ここで不安がってるのと同じように、  プロンジェももしかしたら…危険と隣り合わせで戦ってるのかもね。  いくら頼りになる男性っていっても、そんな彼が危ない目に遭ってるかもしれないなら、  そのときは…あなたが助けてあげなきゃ。………可能性としては考えられるでしょ?」 これらのことを話しているエアリーの表情は、柔らかいものだった。 シェリーは、エアリーの話を真剣に聞いていた。 何か残念なことが起これば、それを根源に嫌な考えが募り、負の感情の増長と共に連鎖していく。 …プロンジェが帰ってこないからといって、まだそうだと決まったわけではない。 ━━━━━………エアリーの言う通りだった。 この世界にやってきたエアリーと大聖が、巻き込まれて行動しているわけではないとしても。 今行動を起こしている者達の中で、プロンジェのことを最も知るのは…自分だ。 プロンジェと一番近い位置にいるのは、自分なのだ。 「………未だ『好き』だという一言は貰ってはおりませんが、  少なくとも今までの彼の様子に…、あたくしを嫌っておられたという様子はございませんでしたわ。」 「あら、そうなの?」 「えぇ…、少なくとも彼がいなくなるまでは。…のお話ですけど。」 「それでもいいと思うわ。彼を信じられるとすればその話があってのことだもの。」 「………そうですわね。その過去があってのこと………。」 シェリーが当時のプロンジェの様子を話すと、エアリーも頷いた。 シェリーの同感だという台詞を聞き、エアリーはこれまで話してきたこととは少し違うことを話す。 「あ…、ねぇシェリー。あとさ。」 「…今度はなんですの?」 「あっ、いや…。そのプロンジェがどういう理由でいなくなったのかは知ってる?って聞こうと思って。  いつからいなくなったのかは覚えてなくても、どういう理由でいなくなったのかは知ってるのかなって。」 「ご理由、ですか…。」 エアリーが後ろ頭に手を回し、困ったように笑って聞いた。 それを聞かれたシェリーは、元気を取り戻したところでそのことを振り返ってみる。 数秒間黙り込んで考えたかと思うと、顔を上げて…思い出したのかエアリーに説明する。 「…確か、プロンジェと最後に話したとき、トライデントという武器を求めておられたましたわ。」 「武器!!?…トライデントって…。」 「えぇ、かつてこの海の世界に存在しておられた海の神が手にしていたという物です。  ただ…、そのトライデントがどんな物で、どのような工程で造られたのかは、誰も知らないのですわ。」 「じゃあ…それを求めたプロンジェが帰ってこないのって…。」 「…あたくしがお聞きしたのは、あくまでその目的のみ。  その通りに、プロンジェが行動なさっておられるのかと思われると…。」 「………そうよね。」 エアリーの問いに対し、シェリーが真剣な顔をして話す。 とはいっても、それ以降プロンジェがどうしたかがわからない。 そのため…、それでプロンジェが一体どこにいるのかは掴むことは出来ない。 ………熱水マントルの様子を見に行くのと並行して、 いずれは、自分達もプロンジェを見つける必要がある。 エアリーとシェリー、2人の意見が一致したそのとき━━━━━。 『………ゴボゴボゴボゴボッ………!!!!バコォオンッ!!!!』 ━━━━━暗闇の奥で、泡立つ音と何かの壊れる音が聞こえ、水中で響く。 「━━━━━…何!?今の音は何!?」 「今の音は…、熱水マントルの方ですわ!!」 その大きな音が聞こえ、エアリーは耳を澄ませ、シェリーは周囲をキョロキョロした。 それが深海の更に底の…熱水マントルから鳴ったとシェリーが気付くと、 エアリーの腰に自分の腕を巻き付け、そこへと泳いでいく。 「熱水マントルからなったなら…、また壊れたってこと?」 「そうかもしれませんわね…。けれど、今から行ったなら原因がわかるかもしれませんわ。」 困惑しながらも、2人は急いでそこへ向かった。 進行方向はシェリーによって示され、まっすぐに進んでいく。 ………熱水マントルへ向かえば、見覚えのある人影がポツンとあった。 その人影の先に…、熱水マントルの穴が破壊されたのが見えた。 …ここで異変が起こっているのは、この破壊のせいで間違いない。 しかし、シェリーがそれ以上に驚いたことがあった。 自分がよく知っている、背中から翼のように生える1対の背鰭。 右腕には、もはやこの世界の物ではない…禍々しい兵器。 壊れた熱水マントルの目の前にいたのは━━━━━。 「━━━━━………プロンジェッ!!!!!」 ………信じられない、受け入れがたい現実を目の前にして、シェリーがその人物の名を叫んだと同時に。 その人物…プロンジェが姿を消し、目で追えない速さで海面へと泳いでいった。 ━━━━━ほんの一瞬見えたプロンジェの表情。 その顔はもう…、自分が知っているプロンジェの顔ではなかった━━━━━。 その光景を目にして、シェリーが悲しい顔をした頃には。 深海から海面へと、また高熱の間欠泉が噴き上がる━━━━━。 ………壊れた熱水マントル。 その先には、もう誰もいない━━━━━。 『E-06 ぶそう』に続く。