━━━━━相棒を別れるなんて意思を…まさか示すとは思わなかった。 ただ、自分が外に出ても目をつけられるとは限らないことがわかった。 それなら…、いつまでも相棒に懐に頼ることなく、自分自身で飛び立ってみようと考えた。 自分の正体が知られない限り…、いや…知られても今なら大丈夫だ。 大丈夫だ、とはっきり大きな声で言える自信はまだないとしても、 自分の正体を知りながら、真摯な様子で自分に接してくれる者がいるのだから。 獣人であり神でもある大聖が、フッ…と笑いながら、金斗雲の術で空を飛んでいく。 黒い炎が巻き上がったその場所は、大きな音が鳴ったもののそれを受けたような被害は一切見つからなかった。 神でもある自分の力が、あることを気付かせた。 ………シングレースが話していた幻想世界とは、すぐそこにあったということを。 その黒い炎は、陸の世界で起こったモノではない。その世界で起こったものだと。 黒い炎が見えたその位置の中心に飛び込めば、辺り一面の景色がガラリと変わった。 陸や海の世界の者なら、まさかこんな仕組み…いや、境界があるということさえもわからないだろう。 黒い炎が巻き上がったその中心部に入った直後のこと。 陸の世界の…光の注ぐ温かな自然の世界から一変、暗く寂れた街へと景色が変化した。 一日中暗い場所に出たのか、空には太陽が見当たらない。 それと入れ替わるように存在している大きな満月が、気味の悪い街全体を淡く照らしていた。 その様は…一言で言えば、スラム街だ━━━━━。 『どらごん』 ━━━━━いかにも治安の悪そうなこの街に飛び込んではみたものの、建物の外には人が誰1人見当たらない。 表面上が、人気のまったくないゴーストタウンのような様だ。 それでも…ここに人は住んでい…たという名残の数々は残っていた。 ボロボロの建物近くにひっそりと立てられた郵便ポストには手紙が入っていたし、 誰かが飲んだ後と思われる酒の瓶も地面に転がっていた。 人気のなさに異常性を感じながらも、大聖は金斗雲から降りて自分の足で立つ。 自分の武器である如意金箍棒を片手に、いつでも戦闘体勢になれるように警戒しながら進む。 「(おかしいくらいに静かだ。こんな薄汚れた街ということもあるかもしれないが………。)」 人はおろか、何かの生物が潜んでいることを示す物音さえも聞こえない。 聞こえるのは…、誰1人いないことを増長させるような風の吹く音だけだった。 暫く、大聖は寂れた街を歩き回っていた。 街に建っている建物の数々はお世辞にも美しいとは言えず、隅の方が汚れていたり、 袋小路にはゴミが無造作に捨てられていた。 街を探索した中で、目立ったものとなればそれくらいだった。 なぜこうも人の姿がないのだろうと考えてみるも、この街には謎が多すぎた。 薄汚れた建物、ボロボロの布切れ、沢山積み上げられたゴミ。 ここまでくれば、単なる殺風景だとかという話ではない。 人が住んでいないのか、これらの処理もされていないのだろうか。 「…誰かいないのか?」 どんなに歩いても、どんなに走っても。どんなに呼んでみても。 誰の声も返ってはこない、動物が驚いて騒ぐ音もこない、何もかもが来ない。 一体、この街全体に何があったのだろうか。 「………おいっ!!誰かっ!!」 少し険しい顔をして、地を駆ける。焦った様子で急いで走るも、…やはり、人はどこにもいない。 両膝に自分の手を付き、一旦走るのをやめたところで、大聖はハッと顔を上げる。 『………ゴォオッ………。』 街の向こうの方へ、何かが炎によって燃えていると思われる音が聞こえた。 風に乗って聞こえてきたその音に、大聖は身体を起こして遥か向こうの方を見る。 その向こうでは、見覚えのある黒い炎が燃え盛っていた。 「━━━━━ッ!!?」 その光景を見た直後、大聖は再び金斗雲を出現させ、その場所へ向かおうとした。 …が、そのとき、自分の背後から何者かの気配を感じ、 如意棒を構えて自分の背後にいるであろう誰かを睨みつける。 その何者かは、ここに来て初めて出会う人物だった。 「━━━━━やめとけ。オマエも食われてぇのか?」 大聖のおよそ2倍の背丈に、頭には2本の大きな角。 服のあちらこちらには鎖やワイヤー。そして…自分を見下すように向けている赤い瞳。 その人物は、大聖をギロリと睨みつけながらそう話し掛けてきた。 その人物に突然話しかけられたことに驚き、大聖はバッと振り向いた。 …一体、この男はいつの間にここにやってきたのだろう。 大聖は如意棒を振り回すも、男はまったく動じることなく大聖を見つめていた。 「馬鹿な真似はよせや。あの光景はこの世界じゃよくあるこった。  この街を含めたこの幻想世界にゃあ、陸や海の世界から追放されたヤツがわんさかいるんだ。  何人殺そうが食おうが、この世界じゃそうしなきゃ生きていけねぇんだ。」 「陸や海の世界から追放された…?なら、幻想世界はそういう奴等の集まりとでも?」 「この世界から運よく出られたヤツもいりゃあ、危険視されてここに追いやられたヤツもいる。  尤も、現状とか結果とかはオマエの言う通りだがな。  ここにゃあロクなヤツがいねぇぜ。見逃してほしけりゃとっとと消えろ。」 「…出ていけと言われて素直に出ていくと思うか?」 腕を組み、威圧感を出しながら男が言うも、大聖はもはやうろたえることなく反論した。 男の方は、大聖のそんな様子を気に食わなさそうに見つめる。 自分がこの男から邪険に扱われていることはすぐにわかったが、大聖も引き下がらない。 「殺されるだの食われるだの、そんな覚悟はもう出来ている。  お前が誰なのかは知らないが、見知らぬ誰かに忠告されて引き下がる程、俺も弱くない。」 「オレがもし見知らぬ誰かじゃなくオマエの知り合いだったとしたら、従ってたのか?」 「さぁな。知り合いだったとしても…距離を取っていることだろう。  あの黒い炎がお前の仕業なのか、そこまでは疑えないものの…、  お前自身が何者なのかなんとなくは疑えるからだ。」 大聖が男から目を逸らすことなく言えば、男が少し顔をしかめて聞き返した。 この男が自分を邪険に扱おうなら、それをそのまま返すように大聖も男に邪険に接する。 大聖の台詞と態度を見て、男の方も何かを感づいたらしく、 軽蔑を含めた眼差しで、フンッと笑うと━━━━━。 「━━━━━なんでぇ。オマエもわかってたのか、神さんよ。」 「あぁ…、竜の…ドラゴンの生き残りめ━━━━━。」 ━━━━━今の自分に、退治対象としていた竜や大蛇を殺す理由はない。 とはいっても、神である自分と竜であるこの男に睨みあいは、避けられないことだった。 竜や大蛇は、人間を脅かす存在として神々に退治され、その数を減らしていった。 今や、この2つの怪物は絶滅寸前なのだ。 それは、当時の神や人間にとってはありがたいことであっても、 生き延び続けている2つの怪物にとって不愉快な話だ。 この男の姿と気を見たその瞬間、大聖はこの男がその竜であることに気付いた。 同様に、この男も大聖の姿と気を感じた瞬間、その神であることに気付いた。 その2人が、初対面でありながらも互いが邪険に扱うのは、………そのためだ。 「「………。」」 互いに睨んだまま、少しの間黙り込む。 「………ま、今はまだいい。」 悪い空気と沈黙を破ったのは、竜の男の方だった。 「オレはまだ腹が空いてねぇからな。今オマエを食っちまったら腹壊すぜ。  ここで見逃してやったことは、運がよかったとでも思っておけ。」 「ここから出ない限り、いずれはお前に食われるというのか?」 「オマエの命日なんてオレが知るかよ。けど、神程食いがいのあるヤツは竜にとってはいねぇ。  このオレに目を付けられた以上、次はオマエが狙われるとか適当に思っとけ。」 「あぁ、その通りにさせてもらう。」 「ケッ、どこまで強気でいられるかねぇ。」 片手を振りながら竜の男が言うと、大聖もキッと睨みながら返した。 その直後、捨て台詞を吐いたかと思うと…竜の男はその場から姿を消した。 姿の消えた後、大聖はくるりと向き直り、黒い炎が燃える方を見る。 ━━━━━竜相手に、下手に殴りかからない方がいいだろう。 …あの竜と聞いてこちらから喧嘩を売らなくなった辺りは、 彼女の言う通り、俺も変わったのだろう、か………? 今は傍にいない、自分の相棒の顔。 その顔をふと思い出し、小さな笑みをこぼして…大聖は前へと歩き出した。 ………。 竜人の男と話して以来、結局誰と出会うこともなくやがて夜…と思われる時間がやってきた。 昼間…と考えられる時間のときでさえ誰1人外にいなかったのに、夜に一体誰が外に出るというのか。 …ふと、『ビュウ…。』と風が吹き大きな音を立てた。 「………?」 夜になった後に聞こえてきた風の音。それは止むことなく何度も鳴り続ける。 風が吹けば草木はざわめく。葉と葉が擦り合い…小さな音を立てていく。 風の音、葉と葉の音。その2つの音は次第に強くなっていき、 やがてそれ以外のモノの声と音がわからないくらいになっていった。 「(…この変化は、一体何が起ころうというんだ?)」 次第に大きくなっていくその2つの音に、大聖は警戒して周囲をキョロキョロと見回す。 人や生物は誰1人いないが、勢いの増した風の影響で、 外壁に飾られていた表札やポスト、煉瓦などがすべて空高く飛んでいた。 その風は、物だけではなく大聖も襲う。 『━━━━━ビュォオッ!!!』 「うっ!?」 暴風に怯み、キュッと目を瞑り両腕で自分の顔を覆う。 風は激しさを増す一方で収まる気配がない、その場で立っていることが精いっぱいなくらいだった。 両腕で顔を覆うながらも、片方の目をわずかに開けて大聖は正面の方を見る。 …よく見ると、外にあった物の数々は自分の突っ込んでくるかの如く飛んでくる。 前を向いている大聖に、向かい風は飛ばした物と共に襲いかかってくる。 少しでも踏ん張る力を抜けば、飛ばされてしまうかもしれない。 大聖は全身に体重をかけ、両足をその場に固定させた状態で如意棒を構える。 上半身だけを動かし、如意棒を素早く振り回すことで飛んでくる物を弾き飛ばす。 幸い、外には人や生物、壊したらまずいものがないため、回りを気にすることなくガードが可能だった。 …風は収まることなく自分の方へ吹き続けるが、物は暫くすると飛んでこなくなった。 如意棒を持っていないもう一方の腕で顔を覆ったまま前を向き直った直後のこと。 突然、自分の周囲…いや、街全体が真っ暗になった。 「━━━━━っ!!?」 街全体を照らしていた月灯りさえなくなり、何も見えなくなってしまったのだ。 自分の周囲の景色が一瞬にして暗闇に飲み込まれていった。 だが…、それは本当に一瞬の出来事だった。 前後左右が真っ暗になったかと思えば、またすぐにこの街の様子が見えるようになった。 暗くなったことに驚いたその後に戻った…、今のは一体何だったのか。 また、暗闇から元の状態に戻ったと同時に、風の吹く向きが変わった。 今吹いている強風は、自分を後ろから押す追い風になっている。 その変化から、大聖は何者かが突風を起こしていると睨む。 向かい風から追い風へ。気候や天気に囚われない様に、単なる自然現象ではないと考えたのだ。 追い風に変わったことにより、顔を覆っていた腕を下ろし、大聖はもう一度辺りをキョロキョロする。 キョロキョロする中で真上を向くと、ある影を見つけた。それは、 ━━━━━この街全体を覆ってしまいそうなくらいの、巨大な翼竜だった。 「………なんだ!!?」 その翼竜は、大聖が前を向いている方向から背後へと飛んでいった。 巨大な翼を羽ばたかせ、大聖が立っているその後方へと飛んでいく。 …強風のは、おそらくこの翼竜の羽ばたきによるものだろう。 翼竜が自分から遠ざかれば遠ざかる程、風はようやく止みを見せたからだ。 『なんだ!!?』と驚きの声を上げたものの、翼竜が何者なのかは聞くまでもない。 あの竜が…ドラゴンが残っているのなら、神としては追いかけてみるまでだった。 「(この幻想世界には…あのようなドラゴンがまだ残っているというのか…!?)」 自分が知っている竜がどんな者なのかを考えるとしたなら、放っておくわけにはいかない。 あの竜が、ここに入る前の黒い炎と関係があるかはまだわからないが、 とりあえず…あの竜をこの世界の外へ出させない方がいいと思い、大聖は後を追いかけることにした。 その場で金斗雲を出現させ、素早く跳び乗れば宙を舞い、翼竜を追う。 翼竜の背中が見えるくらいの高さまで飛び、大聖は翼竜の姿を観察する。 その高さは、思ったよりも低かった。…というもの、この翼竜…、 この街で高いと思われる建物すれすれのところを飛んでいるのだ。 翼竜に気付かれないようにと、大聖は背後に回る。翼が起こす風に加え、 金斗雲のスピードに…自身の身体がバラバラになってしまいような苦痛が伴う。 こんな状態で戦いを挑むのは危険と判断し、如意棒を一度しまう。 そうして、せめてこの翼竜がこの街で何をしようとしているのかを探ろうとする。 街の建物すれすれに飛んでいる。…先程の真っ暗になった変化はそのためだろう。 行動を探ろうとしても、背後からではよくわからなかった。 なので、頭が見えるくらいの高い位置から様子を伺おうと、大聖は金斗雲の標高を上げる。 翼竜の真横に行くと、様子も伺いやすいが気付かれやすいという危険を伴うためだ。 翼竜に触れない程度の高さまで行くと、翼竜の姿を見ることが出来た。 月灯りにより照らされている部分しか見ることが出来なかったが、今はそれで十分だろう。 …翼竜は全身が青紫色で、赤い瞳、どこかで見たような2本の角、 そして…身体のあちらこちらに手錠と足枷を身につけている。 ━━━━━その姿形、装飾は誰かに非常に似ていた。その人物とは、夜の時間になる前に出会った者。 「あいつは竜人で、こいつは竜…。人型かそうでないかの違いだが…。  見れば見るほどこいつはあいつにそっくりだ…。もしかして、何か関係があるのか?」 姿だけを見たうえでの判断だ、この点を断定させるにはまだ早い。 少し顔をしかめ、首を傾げながら大聖が小声で言うと、 翼竜が進行方向はそのままの状態で身体の向きをくるっと変える。 それは、ほんのわずかな間での行動だった。 「あっ!!?」 うつ伏せの状態から仰向けの状態に切り替わり、翼竜は大聖を腹を見せる体勢を取った。 長い首をむくりと起こし、光を捨てた赤い瞳で大聖をギロリと睨む。 身が凍るどころか、睨まれると石化してしまいそうな冷たい眼差しを向けられ、 大聖は青さめた顔で翼竜を見る。…翼竜と、目が合ってしまったのだ。 「(しまった、気付かれてしまったか!?)」 翼竜が自分の方を向いたということは、そのことを示す。 大聖は、これはマズイと危険を察し、金斗雲の高さを変えて一度去ろうとするが、 翼竜はそれを許さなかった━━━━━。 『ゴオオオォオォォォオオオォォォオッ!!!!!』 ハッとして逃げようとした頃には、翼竜の口から黒い炎が吐かれたのだから。 『バスウゥンッ!!!!』 その咄嗟に吐かれた黒き炎、これを防ぐ術はない。 金斗雲を破壊され、大聖は地面へと落下していった。 乗り物無しで空中へ放り出された大聖は、身動きが取れない。 そこを狙い、翼竜が大きな口を開けて大聖を食べようとする。 「あぁっ!!!!??」 誰かに気付いてほしいと大声で叫ぶも、それは虚しく夜空の闇へと溶け込んでいった。 『━━━━━逃げんさい!!』 翼竜に食べられようとしたとき、一瞬聞いたことのない女性の声がしたが、幻聴だろうか━━━━━。 ━━━━━高い場所から落下し、意識を失っていたようだった。 大聖が意識を取り戻し、顔を上げ…うつ伏せに倒れていた身体を起こす。 衣服についた汚れを簡単に手で払い、ぼんやりとした感じを残す意識のまま、 正面を見てみると…、そこにあったのは沢山のお供え物。…と思われる物の数々が、 宮殿のような形をした建物の柱の足元に、無造作に置かれていた。 先程の街の建物と似ているような、似てないような。 金斗雲を破壊され、結果としてこの場所に放り出されたのだろう。 ここはどこなのだろう?先程の街の中なのだろうか? それにしても、自分はなぜこうやって地面を立っているのだろうか? 先程、翼竜に食べられそうになり、そのときは…不死身の命と共に、 翼竜の腹の中で過ごすという、とんでもないことになっていただろうに…。 はっきりしない意識に、はっきりしない現状。 一先ず、誰か人にあってこの街の…この世界の現状を聞いた方がいいと、 目の前にある宮殿へ訪れてみることにした━━━━━。 『G-02 つきよ』に続く。