━━━━━この美術室は、思っていたよりも複雑だった。 あのときは、幻無に案内されるがままに奥へ進んだためか、構造を殆ど知ることはなかった。 今は、自分の意思で…自分の思い人と道を探っている。 この人目に届かない暗い世界で、自分に兵器を与えたかもしれない幻無を探す。 幸い、周囲に敵らしき物はいないが…その代わりなのか、内部の構造が複雑になっている。 水で満たされていないこの空間で、自分達の体調にも気をかけながら、慎重に進む。 水で満たされている場所ではなく、それに加え近くに水場があるわけでもない。 そんな場所に長時間いるということは…水棲哺乳類に値する自分ならともかく、 自分の隣を歩く想い人にとっては、生死に関わることだ。 目を細め、耳を澄ませ、ここにやってきた青年…プロンジェは周囲の様子を探る。 プロンジェの片手には、本来の武器である…投げて使うタイプに槍が握られており、 もう片方の手には…自分とここへ来ることを望んだ主、シェリーの手が握られている。 動き回る敵はいないが、周囲に飾られている造形物が、自分達を睨んでいるかのように見える。 自分達が知る深海程暗いわけではなく肉眼でも見えるが、 暗闇の中、その場所にぼんやりとただずむ作品達が…皆得たいの知れない化け物のように見えてしまう。 「…深海とは違った不気味さがありますね。これも彼女…ネクラさんが作った物なのでしょうか。」 「気味が悪いですわ。そのお方は、一体どんなご趣味をなさられていらっしゃるのか。」 プロンジェが飾られ、並ぶ作品を眺めながら言うと、シェリーも少し顔をしかめて呟いた。 …気味悪がりながら言うと、触手のように長い腕をプロンジェの腰にそっと巻きつける。 プロンジェのことは好きだから密着しておきたいという気持ちよりも、 プロンジェと離れることは、イコールこの場所で死んでしまうということに値する。 シェリーは、極力プロンジェから離れないように心がけている。 プロンジェの戦闘の邪魔にならない程度で、自分の視界の範囲内にいるようにする。 プロンジェが、この美術室の住む者達の名前を知っている。 その者達と出会ってから意識を失い、操られることで野性化をしたのなら話は早い。 プロンジェを…自分にとって大切な存在であるプロンジェに手を出したその2人に、シェリーは密かに怒りを抱く。 大きな単眼の瞼を半分程伏せ、ムッとするその様を見て、プロンジェは振り向く。 先程の若干皮肉めいた台詞を含め、シェリーがその2人に敵対心を抱いているであろうことは、プロンジェはすぐに見抜いた。 「…落ち着いて下さい。堪えた方がいいです。おれに人間を殺させた彼等には、  怒りを爆発させるという変化は思うツボでしょう。」 「けれどっ…、あなたにあんなことをさせたのがここのお方達だと言うならっ…!」 「許せなくとも構いません。そのお気持ちは、おれとて嬉しく思います。  けれど、殺させたというなら彼等は人間をよく思っておられないということも考えられます。  そんな彼等に怒りを表したなら、彼等は反って面白がって喜ぶかもしれません。  …人間は、やっぱり生きるのに値しない者達、だと。」 「…。…それを肯定させるような態度は避けた方がよろしい、ということですわね?」 「えぇ…。彼等の悪事をエスカレートさせてしまうかもしれませんからね。」 怒った表情のシェリーに、プロンジェが落ち着かせようと忠告するように言った。 一度目の忠告を受けるも、シェリーは我慢ならないと髪を乱し、首を左右に強く振る。 以前起こった問題にプロンジェが絡んでいるためか、シェリーは感情を抑えられないと声を荒げる。 一度聞いただけでは落ち着かない、落ち着けないと荒れ始めるシェリーに、 プロンジェが両肩に触れ、シェリーを宥めるように…落ち着いた声で話す。 落ち着いた方がいいその理由を含ませた説得に、シェリーはようやく落ち着きを取り戻す。 プロンジェの落ち着いた物腰に、シェリーも少し怒りが和らいだ。 落ち着きを取り戻したところで、シェリーはプロンジェに向き直る。 「ならば…、彼等とはどのような態度で臨むべきなのでしょう?  バイメンの言っておられた2人組というのが、  あなたを操った幻無とネクラという方達を指すなら…。」 シェリーが困った顔をして首を傾げると、プロンジェは壁に飾られている作品を眺めて…考える。 「彼等が一体どこから来た方々で、なぜおれに兵器を与え操ったのか。  そして、なぜ彼等が人間を殺させたのか…、その真意を知る必要がありますね。」 「けれど、彼等を見つけた際に…それを素直に教えてくれるものなのかしら?」 「多分、…教えてはくれないでしょう。自分の罪を正直に言える気質ならば、  おれに殺人をさせるのではなく自分で殺人をしてもいいような気もします。」 「自分でなんらかの武器を持って、自らで殺人を?」 「いつも通りの、おれの推理ですけどね。」 プロンジェの推測を聞き、シェリーが素朴な疑問を述べる。 それを聞くも、考えたところで可能性は無限大だというかのように、プロンジェは困った顔で笑う。 プロンジェのその様子が、シェリーに安心感を与える。 それを感じて、シェリーも小さく微笑みながら話す。 「ならば、やはりなぜ彼等がプロンジェにあんなことをさせたのかを知るのが一番ですわね。  あと、彼等が人間をどうお思いになられておられるのかも。  バイメンが話しておられた、エアリーと大聖のどちらかが狙われかねないということが当たったなら、  いずれは…誰かを操ったうえでこのお2人を殺しにおかかりになるかもしれませんね。」 「操られていたとはいえ、おれとためはれる大聖さんならともかく、  エアリーさんが狙われるとなれば、非常に危険なことです。  彼女には、武器を生産出来るお力はあっても、それを手に自らで戦うお力はございません。  出来ることなら、彼女より先に幻無さんとネクラさんを見つけたいところですが…。」 シェリーが小さく微笑んで見ている方向と同じ方向を向き、プロンジェも真剣な様子で話す。 その視線の先には、過去の絵やスケッチを収納している本棚があった。 プロンジェが以前幻無に教えてもらった話から、 ここにある作品はすべてネクラが創作したものに違いない。 ふと、プロンジェはその本棚あたりに近づき、作品をジッと眺める。 暗い場所に飾られている作品の数々は、悲しみや怒りといった感情が表現されているように見える。 背景画から肖像画まで、作品の内容は様々ではあるが、 その色合いの多くは、青や紫、灰や黒といったような暗い色が多くを占めていた。 「…これ程のモノをお作りになるというのに。才能の活かし方を間違えているように思えますわ。」 「そうですね…。」 だが、これはある意味ネクラの心情を表しているようにも思えた…。 壁に飾られている作品から、本棚にふと視線を移すと。 「…あれ?なんだろう?。」 「どうかなさいましたの?」 過去の作品やスケッチに紛れ込んでいる、事務的なデザインをしたノートを見つけた。 プロンジェは、ふとそのノートを手に取り、表紙を見てみる。 その表紙には、 ━━━━━“20140531130022e02”。 …という番号が記されていた。 「なんでしょう?ちゃんとした絵を描くというのにやや適さないノートが、なぜこんなところに…。」 プロンジェは、よくわからないと眉を寄せてそのノート全体を眺める。 ノート全体はかなりボロボロで、古びていた。 軽く本を開けば、パラパラと千切れた紙の屑が落ちてくる。 その紙屑がどこから落ちてきたのか。 それを追うように、プロンジェがノートを開くと………。 「………っ!!えっ!?…まさか………そんな………!!!」 「…プロンジェ?」 「お嬢様っ!!これをお読みになって下さいっ!!!」 「このノートを…?………え?」 「「………こ、これは………━━━━━!!!!!」」 ………あぁ、なんということなのでしょう………━━━━━!!!! 『うらぎり』 「━━━━━さて…。」 絵を描くのはやめたものの、絵具のついた筆は離さずにネクラはエアリーを見つめる。 その表情は、感情豊かな幻無とは正反対で…変わらない。 まるで、今見ている顔は仮面なのではないかと思ってしまうくらい、変化がないのだ。 見つめ合うと、合図を送るかのようにネクラの右腕がピクリと動く。 死体がうごめく様を連想し、エアリーは少し顔を強張らせる。 「貴女が私達にお話したいことは、わかってるつもりよ…。  貴女は、私と幻無に自分のお店の従業員になってくれないか、と話したいのでしょう…。」 「え?どうしてそれを?…わたしはまだ、あなたには自分の目的を話した覚えはないわよ?」 「簡単なこと…、貴女がそれを探しに旅してることは、幻無から聞いてるの…。  幻無は外を自由に飛び回る子でね、噂とか結構拾ってくるのよ…。」 「幻無が、わたしの話をあなたに?」 「えぇ…、そうよ…。」 表情をまったく変えずに、ネクラは先を読んでそう話した。 その話した中身は、どれもこれもエアリーがこれからネクラに話そうとしていたこと。 それらを先に話され、エアリーはポカンとしてネクラに問う。 それを話すネクラの表情は、変わることはなかった。 エアリーの問いかけにに小さく頷いてから顔を上げると、首を左右に振る。 「…でも、私達は貴女と働くことはお断り…。」 「えっ!?どうして!?」 「だって、貴女は人間でしょ…?」 「人、間…だから?」 え………?もしかして理由はそれだけ………? 「私か幻無の誘いもなく、この美術室に足を踏み入れたのは…、  エアリー…、シングレース…。貴女達だけよ…。  半分は生物でもあるシングレースならまだしも、エアリー…貴女は純人間…。」 「じゅ、純度100パーセントの人間の何が駄目なのよ!」 「純度100パーセントだからよ…。」 「理由になってない!納得いかない!それじゃあただの人種差別じゃない!」 ネクラが無表情で言い切るのに対し、エアリーはかなり困った顔で叫んだ。 顔は困った顔であれど、内心は怒っている。 特別な事情であったり、自分の望みとは違う望みを持っているわけでもなく、 たった…たったそれだけのことで自分の誘いを拒否された。 エアリーが両手を腰に当てて、怒った様子で反論する。 「なんで種族差別なんかするのよ!種族はどうであれ、皆持ってる心は同じでしょう!  生物の特徴を持って、個性や習性は違ってても心は同じよ!  野性化しない限り、皆人の心で居続けてるでしょ!  何?それとも…肌の色が気に食わないとかそんなレベル?」 「…ほらごらん。純人間のそんなところが嫌なのよ。  自分にとって気に食わないことがあればすぐに傷つき、他者を攻撃する…。」 「そうだとしてもそれはあくまでわたし1人の性格でしょ!  じゃあ何?もしわたし以外の純人間でも、そうだって言うの?」 「そうだって言うわ…。だって、人間って皆エゴでしょう…。  他の種族は、もう1つの側面を持つことで、それが調和されてる…。  私が否定しようが…、自分は自分、他人は他人だって割り切れるものよ…。  傷はついても攻撃はしないわ…。」 「なんでそう言い切れるのよ!だったら、わたしと一緒にいるシングはそうだと言うの?  あなたのとこの幻無と散々喧嘩したシングなら…!」 エアリーが反論しても、ネクラはそれを押しつけと捉えて聞く耳を持たない。 ネクラは、エアリーが何を言おうがそれを受け入れる気はないようだった…。 その理由というのが、純人間だから…というたった1つだけ。 エアリーがどんなに訴えても受け入れるどころか聞きもしないネクラに腹を立て始めたのか、エアリーは眉を寄せる。 …ただ、否定する純人間である自分が何を話しても、ネクラには届かないかもしれない。 自分とネクラの間には、先程のシングレースと幻無のように亀裂が出来ている。 エアリーが振り向き、近くにいるシングレースの方を見た。 シングレースは、自分と同じように立っている。 エアリーは、そのシングレースに近づき、話すように言う。 「ねぇ、シングも何か言ってよ!あんなこと言われて、シングは悔しくないの?  傷はついても攻撃はしないってネクラが言ってるけど、  シングはついさっきまで幻無にその攻撃をして抵抗してたわよね?」 「………。」 シングレースの両肩を掴み、軽く身体を揺さぶりながら言った。 困って、怒って、そして…どこか焦り始めているエアリーに、 シングレースは…いつの間にか伏せていた目を、ゆっくりと開ける。 シングレースの目線の先には、確かにエアリーがいた。 しかし…今のシングレースは黙ったまま何も言わない。 すると、口元をにぃ…と緩ませ、自分の肩を掴んでいたエアリーの手を撥ね退ける。 両腕を下ろし、エアリーの方を見ながら言ったことは、残酷な台詞。 「━━━━━いいえ、アタシはアナタを気遣って抵抗を見せただけよ。」 今のアタシは、もうアナタなんかの味方じゃない。 先程までの無邪気な笑みはどこへ行ってしまったのだろうか。 今のシングレースは、怪しい笑みを浮かべてエアリーにそう言い切った。 ………アナタを気遣って抵抗を見せただけ。 「えっ…?ちょ、ちょっとっ…!?シングッ!!?一体どういうことっ!!?」 「フフフッ…、フフフフフッ…。」 「シ、シング………!!?」 突然声を上げて笑い出したシングレースに、エアリーは酷く混乱して後ろの下がる。 自分の後ろには、ネクラが静かにただずんでいる。…逃げられない。 一度身を引こうとするがネクラにそれを妨げられ、エアリーの心に不安が募り始める。 その心を煽るように、シングレースが大きな声で笑い出した。 「アハハッ!!アハハハハハハッ!!!」 「どっ…どうしたのシング…。なんか変よ…?」 「変…?別に変じゃないわよ。アナタがおかしくって笑っただけ。アタシはアタシ。  エアリーこそ、そんなに顔を青くしてどうしたの?怖いの?帰りたいの?」 「そ、そんなわけないじゃない!この世界を━━━━━!!」 「この世界をどうする気なの?もしかして、自分の武器屋と吸収合併させようとか?  物騒なこと考えるのね。それだと幻無とネクラの居場所を奪っちゃうことになるわよ?  他人の居場所を何食わぬ顔で奪うなんて、ホンット腐ってるのね。」 「違うっ!!わたしは幻無とネクラにお店の従業員になってくれないかと話そうとしただけよ!!」 「じゃあ何?それをこの場でネクラに拒否されたんでしょ?  ならもうここにいる理由なんてないじゃない。早く出なさいよ。  ねぇ、なんでここにいるの?関わられるのを嫌がるこの2人にすがりつく気?」 「シング…!?何を言ってるの…!!?」 あれ程無邪気で可愛らしかった笑みが、歪んだ笑みへとなっていく。 自分に対する敵対心を露わにしているシングレースの台詞に、エアリーの混乱は収まらない。 更には、自分が最終的にしようと考えてる行為の避けられない部分を引き摺り出され、責められ、 まるで自分のやっている行為が幻無とネクラ、2人の人権なるものを踏みにじるものであるかのように言った。 自分を責めるような態度に変わったシングレースに、エアリーは酷く動揺する。 冷や汗をかき、目に涙を浮かべながら…今のシングレースから逃げるように後ずさる。 その背後には、ネクラがいる。ネクラは…無表情で自分を見つめていた。 シングレースの話には耳を傾けている、ネクラはコクコクと頷いていた。 幻無の名前が上がって回りを見回してみたが、幻無の姿がどこにもないことに気付く。 シングレースも、ネクラも。自分を攻撃しているその中で、それをしていないのは幻無だけだ。 エアリーは、だんだんパニックになっていき…その幻無に助けを求めようとするが、幻無はいない。 態度がガラリと変わったシングレースが、一歩、エアリーに近づく。 様子がおかしくなったシングレースから遠ざかろうと、エアリーは一歩引く。 …その後ろにはネクラがいる。それを妨げられる。 シングレースが一歩、また一歩。足音を立てずに近づいてくる。 「ま、待って………。」 酷い混乱と動揺に支配され、エアリーの精神は追い詰められていく。 かろうじて出した声は、掠れた声だった。 そのエアリーを見て、「いい気味よ。」とシングレースが呟く。 「…生物そのものと、生物分類と人間の2つの側面を持つ人種は、別モノ。  それと純人間も、別モノ。でも…、アタシ達の種族をアナタ達純人間が、  人工的に生み出したって言うなら━━━━━。」 「そうだとしたら、わたし達が身勝手だって言うの…?」 「さぁね。いちいち聞かなくたってわかってるでしょ?」 苦しむエアリーを楽しそうに眺めながら、シングレースはニヤリと笑う。 シングレースとネクラの目があった。 シングレースは両手をあげて、自分に掴みかかった。 ネクラは…、巨大な結束バンドとステップルを持っている。 エアリーは、本能で察した。 ………戦う程の力は、自分にはない。鍛冶道具は持っている。 抵抗はやろうと思えば出来るが、シングレースに言われたことがそれを阻んでいる。 自分は、確実に━━━━━。 「━━━━━きゃああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………!!!!」 エアリーの…悲痛な声が美術室全体に響いた。 『H-05 すいり』に続く。