「━━━━━なっ!」 鋸の柄を握ったネクラの手に、ギラリと光る何かが飛んできた。 それは、ネクラの握っていた鋸の刃を破壊し、柄と離れ離れにさせる。 飛んできた何かはネクラの死体の手を貫き、そのまま壁へと突き刺さった。 作品を巻き添えにしたその飛び道具に、ネクラはバッと振り向く。 …その飛び道具は、槍だった。…両手で握って突き刺すタイプのものと言うよりかは、 投げることで立ち並ぶ獲物を次々に貫く、刃の長い槍。 突如飛んできたその槍に、ネクラは怯んでその場に屈む。 残された柄を捨て、貫かれた手をキュッと握りしめては、 血まみれになった後のような赤い瞳で…槍が飛んできた方向を見る。 この部屋の出入り口の向こうから先に入ってきたのは、シングレースを乗っ取ったままの幻無だ。 「…ッ!!ネクラッ!!?」 「………。」 シングレースの姿のまま、声のまま幻無が叫び、ネクラに近づく。 手を貫かれたことを知らないものの、幻無は今のネクラの様子を見て困惑する。 ネクラの両肩を掴み、身体を揺さぶるも…ネクラは固まってしまって、ビクリとも動かない。 槍が突然飛んできた。それに怯んだのはネクラだけではなかった。 仰向けにされ拘束されたまま、ネクラに殺されそうになったエアリーも同様だ。 エアリーは動けない状態で、一体何が起こったのかと部屋の出入り口の方を見る。 …出入り口の方から、足音が聞こえた。 自分とシングレース、幻無とネクラ以外の誰かがここに来ているというのか。 「(…そう言えば。)」 ネクラの構えた鋸が自分の身体を貫こうとしたその直前、聞いたことのある声がした。 その声は、自分であげたモノではなく、かといって…シングレース、幻無、 そして自分を殺そうとしたネクラのモノでもない。 まさか、とハッとしてエアリーは顔だけを起こす。 …だんだん、足音が近づいてくる。 シングレースはネクラの身体を揺さぶっており、 幻無はというとどこかに行ってしまったようにも思えた。 やはり…、あの人もここにやってきたというのだろうか? それに思い当たる人物なんて、1人しかいない。誰かに操られていたかもしれない、 そしてその誰かというのが自分を除くこの3人のうちの誰かだと言うならば。 ふと、足音が出入り口をくぐる音に変わると。 「━━━━━エアリーさんっ!!」 紺色をした彼と、その隣には…単眼の女性。 プロンジェとシェリーが、この部屋に入ってきた。 「………え!?プロンジェ!?シェリー!?」 「大丈夫ですか!?」 この部屋に入ってくるなり自分の元へ駆けつけた海の世界の2人を見た。エアリーは、驚きを隠せない。 エアリーが驚くも、それを説明するのは後だとプロンジェがステップルを抜く。 プロンジェが急いだ様子でそれらをすべて抜き終わると、エアリーはようやく動けるようになった。 仰向けにされていた身体を慌てて起こし、立って話す姿勢を取る。 「…うん、わたしは大丈夫、だけど…。2人とも、一体なんでここに?」 「そんなことを聞いておられる場合ではございませんよ。」 エアリーが驚いたまま話すも、目つきの鋭いシェリーに止められた。 シェリーは、まっすぐにシングレースとネクラの方を向いている。 プロンジェは…、自分の投げた槍を回収し、再び持ち直す。 …ネクラの攻撃を妨げ、自分の命を助けたのは、このプロンジェか。 プロンジェは、睨む目のシェリーとは対照的に…哀れむ目をしていた。 「プロンジェが、わたしを助けてくれたの?」 「何をおっしゃる。誰が助けたかなんて…、誰でもいいじゃないですか。」 「………?…そう、ね。…ありがとう、プロンジェ。シェリーも。」 「あたくしは、あなたに何もしておりませんが…。」 「いいの。だって2人とも、ここに来てくれたんだもの。」 エアリーが少し小さな声で言えば、プロンジェは首を小さく横に振る。 その台詞に質問をしたくなったが、今はそんなことしている場合ではないと割り切り、エアリーは例を言う。 そのエアリーに御礼を言われたシェリーが首を傾げるが、エアリーは小さく笑ってそう言った。 簡単に御礼を言った後、3人はシングレースとネクラを見る。 シングレースとネクラ。自分がここにやってきた者達はいるも、あと1人が足りない。 プロンジェとシェリーの間に立ち、エアリーがキョロキョロと部屋全体を見回す。 ………幻無だ。幻無だけがいない。 一体、どこにいってしまったのだろうか。 「ねぇ、2人とも。」 「なんでしょうか?」 「この部屋に来る途中、幻無っていう名前の男の子を見なかった?  白い髪に白い服で、浮いて移動してる………━━━━━。」 「聞くまでもございませんわ。」 「へ?」 幻無がどこにいったのかを2人に問えば、シェリーの方から素っ気ない返事が返ってきた。 シェリーが素っ気ないのはどこか諦めている部分がある、気になったのはその台詞の意味だ。 「シェリー、聞くまでもないって…どういうこと?」 「今におわかりになります。」 エアリーが首を傾げると、プロンジェは悲しげに笑ってそう返した。 その後、プロンジェがシングレースの方を見る。 プロンジェがここにやってくることは、追われていた自分なら予測が出来たこと。 シングレース…、いや、幻無は立ち上がり、だがその視線はエアリーの方へ向けた。 少しの間、沈黙が続く。 「………シング?」 「………。」 その沈黙を破ったのは、エアリーの何気ない呼び声だった。 それに対し、幻無は黙ったまま何もしない。 目を細めて、羨むように………エアリーを見つめている。 ほんの少しだけ顔を俯かせてからまた顔を上げ、落ち着いた声で話す。 「………アナタって、いや…君って、本当に疑わないね。」 「え………?シ、シング、ちょっとどういうこと?  疑わないって…だってわたしとシングはもう友達でしょ?  わたしはそう思ってるけど…、シングはそう思ってないとか?」 「そんなんじゃないさ。それ以前の問題だ。君は、  今話してる相手が本当のシングレースだって…思い込んでるね。」 「シング?今話してるのが本当のシングって………。  どんなに変わっても、シングはシングでしょ?」 「“どんなに変わっても、彼女は彼女”かぁ…。」 ━━━━━そんな台詞、多分僕達には向けられることはないんだろうね………。 戸惑った様子で話すエアリーに、幻無は大きな溜息を付く。 「アタシ…僕がどんな口調で話そうが、どんな態度を取ろうが、  君はそれを許せるってことなのかな?」 「そりゃあ…、どういう時期であれ、皆変わるものでしょ?」 「変わる、のか…。」 「………シング?」 「………案外、鈍いんだね、君。君が探してる僕がこんな近くにいるのに、  気が付かないなんて。笑っちゃうよ。」 「………え?」 エアリーが見たシングレースの台詞や態度、仕草の数々。 それは、自分が知っているシングレースの者ではなかった。 未だ気付かないエアリーに、プロンジェが隣から声をかける。 「………幻無さんを、探しておられるんですよね?」 「え?うん…。」 「その幻無さんがいなくなって、シングレースさんの様子が変わったのは、いつ頃でしょうか?」 「え?」 プロンジェの問いかけに、エアリーは間抜けな声を上げた。 目の前にいるシングレースを見て、エアリーはシングレースの態度の変化や、 幻無がいなくなったそのときのことを思い出してみる。 「………。」 簡単に思い出してみてから、一度プロンジェを顔を合わせてから…シングレースの方を見る。 ………そして、わたわたと慌てふためく。 少年口調に、女のものとはちょっと違った仕草。 でも、この2つを持つ人物が一体誰なのか。 「━━━━━あ、あれ…?も、もしかしてシングじゃなくて…、幻無?」 エアリーがようやく理解したとき、 幻無がシングレースを解放する━━━━━。 『かなしみ』 ━━━━━シングレースから、白い服に白い髪の少年が飛び出すと、 シングレースはその場にバタリと倒れ込んだ。 「シングレース!」 うつ伏せに倒れたシングレースの身体をプロンジェが支え、シェリーが呼びかける。 シングレースは、目を閉じてぐったりしていた。 身体からは力が抜け、項垂れている状態だ。 シングレースの身体から抜け出した幻無は、 天井に付きそうな高さまで浮遊してからゆっくりと下降し着地する。 ふわり…と白い服や髪がなびけば、それに共鳴するように周囲の作品やスケッチもなびく。 ようやく自分のことに気付いたエアリーの前に、幻無はようやく姿を現した。 姿を現し、足を地についたその後、ネクラの肩に自分の腕を回し、ネクラの身体を支える。 ネクラの方を見た後に、ようやく本来の姿を現した幻無を前に、エアリーは…愕然とする。 ………自分の知っているシングレースは、もしかしてシングレースではなかったのか? 「…勘違いしないでよ。」 愕然としているエアリーに、幻無が口元を緩ませてエアリーを見つめる。 満月のように見えたその瞳が、エアリーを射抜く。 …ここに入ってきたばかりとは打って変わって、幻無の目つきは鋭かった。 「僕が自分から姿を現したのは、観念したってことじゃないからね。  …宣戦布告さ。これが僕達にとっての最後の戦いにしたいんだ。」 「…戦い?幻無、一体どういうこと!?」 「さぁ?それをいちいち教える程僕も口達者じゃないんでね。自分で考えなよ。  とりあえず、乗っ取ったシングレースの身体は返してあげる。」 戸惑ったままエアリーが疑問を述べると、幻無が少し歪んだ笑みで返した。 すると、両手首を失ったネクラの身体を支えながら、浮遊する。 浮遊したその先は、プロンジェが槍で突き刺して傷を付けた壁のすぐ目の前。 その前に立つと、幻無は左側の振り袖の方にしまってあったハンマーを取り出し、壁の傷痕に向かって………、 『ドンッ!!!』 『バキィッ!!!』 傷痕を殴って、壁に穴を開けたのだった。 そこへ、ネクラと共に入り込もうとする。 ………逃げる気だ。 「…っ!!させませんわ!!」 それを見たシェリーが、、そうはさせないとスッと立ち上がる。 自身の白く長い腕を伸ばすが、あと少しのところで…幻無とネクラには届かない。 それでも、ここで逃げられると厄介だとシェリーは壁の穴に向かって走る。 幻無の服の裾が壁の穴を通過しようとしたとき。 「………お嬢様?」 シングレースの身体を支えていたプロンジェは、目を大きく見開いて愕然とする。 しかし、シェリーはプロンジェが見ていてもお構いなしの様子だ。 幻無の白い裾が完全に消える前に、シェリーは駆け出しては王冠型の帽子を取る。 お辞儀をするように頭を下げると、頭から生えている貝柱なる角を幻無の方へ向け…、 『ブシュウウウウウウゥゥゥゥゥゥッ!!!!!』 「んばっ!!!?」 突如水が地面から噴き出すような音が鳴り、幻無が強張った顔で振り返った。 幻無が振り返ったその先に見えた…自分に向かって噴き出されたモノは、 シェリーの頭の角から噴き出された、墨。 奇妙な声を上げた、それに気付くもネクラを支えていたため動きが鈍くなっている。 逃げられるその前に…。往生際は悪くいけという気高き者の意地…なのだろうか? それに気付くものの、幻無は普段のように浮遊行動や実体の操りが出来ず、 「うあっと!!!」 『━━━━━ドンッ!!!』 「きゃっ…?」 それを避けんと、幻無がネクラの身体を前方へ押し出す。 シェリーが向けた墨は、破壊された壁周辺をセピア色の染めた。 墨の一部が壁に噴きかかったものの、穴を通過したものは幻無とネクラに襲いかかる。 急いでそうすることで、幻無とネクラはギリギリのラインでそれを避けた。 …と、本人達は思っていたようだが…。 『………ピチャッ。』 「もうっ!!この様の一体どこがお嬢様なんだかっ!!!」 「あなただけには、言われたくなくってよ!!」 シェリーの墨を避けると、幻無は怒った顔で捨て台詞を吐いて、 ネクラを連れてそのまま暗闇へと消えた。 シェリーもまた怒っており、墨により怯んだその隙に2人に腕を巻きつかせようと伸ばすも、 あと少しのところで、逃げられてしまった━━━━━。 「━━━━━むぅ、逃げられてしまいましたわ…。」 「…ちょ、ちょっと驚きましたけれど…ナイスファイトです、お嬢様。」 幻無とネクラが消えた暗闇の向こう。 シェリーが悔しそうに言うのを聞き、プロンジェが戸惑いつつも笑ってそう言った。 プロンジェの声が聞こえた直後、シェリーは罰が悪くなったのかバッと振り向く。 シェリーと目が合うと、プロンジェは困った顔で笑う。 宣戦布告。幻無が自分にそう言った意味がわからないまま、 エアリーはシングレースの方を見る。 シングレースの両肩を掴み、身体を軽く揺さぶると、 「………うっ………ん………。」 「…シング?」 シングレースが意識を取り戻し、目を覚ました。 ぐぐもった声を出し、両目を両手で擦る。 目を開け、パチパチと瞬きを何度かすれば、エアリーの方を見る。 「…あれぇ?エアリー?」 「シング?シングなのよね?」 「ふぇ?アタシがシングレースよ、他に誰がいるっていうの?  …あれ?でもアタシ今まで何してたの?  ネクラに会ってから今に至るまでの間のこと…ぜんっぜん覚えてないんだけど…。」 「覚えてない…?」 エアリーが慎重に尋ねると、シングレースは普段と変わらない様子で答えた。 身体を起こし、両腕を上げて背伸びをしてから辺りをキョロキョロする。 話したことと、探るようなその仕草に、エアリーは眉を寄せる。 「…何も覚えてないの?本当に何も覚えてないの?  わたしの傍にいたと思ったら、あれだけ言ってたネクラのこと庇うし、  あなたがおかしくなったと思ったら、次に幻無がいなくなっちゃうし…。  あなたの口調が変わったことがわかったらあなたから幻無が飛び出すし…。」 「えー?アタシ急に口調変えたりなんかしないわよ。  それに、あのネクラを庇うなんてことした覚えないわよ?」 「そ、そう…?」 「そうよ。」 エアリーが疑ってかかっても、シングレースはきっぱり、ハッキリと返答する。 その台詞の内容は、先程までの知らない自分の行為を真っ向から否定するものばかりだった。 シングレースの『何も覚えてない』という台詞に、 エアリーは過去に見たある光景を思い浮かべた。 「…そういえば、以前もそんなことを言ってた人がいたような。」 「…それは、おれのことですか?」 「えぇ、そうよプロンジェ。って………。」 ………あれ?まさかあのとき一瞬見たのって………。 「あれ?ソッチのお2人さんは誰?エアリーの知り合い?」 「えぇ、おっしゃる通りです。」 エアリーがある1つのことを考えている最中に、シングレースがプロンジェとシェリーの方を見た。 優しく微笑むプロンジェと、大きな単眼を半分伏せて、小さく笑っているシェリー。 そのシェリーの姿を見て、シングレースもギョッとする。 「うわっ!!単眼っ!!ヤバイわよ、なんで1つ目オバケがいるのよ!!!」 「はっきりいうお方なんですね…、シングレースさんは。  単眼のお方は、人々や生物の間にも希におりますよ。」 「えぇ〜っ!!でも単眼って一般的には妖怪とか悪魔とかにあるんでしょ!!?」 「あまり知られておられないだけです。それに、シェリー様は妖怪でも悪魔でもありません。」 「えっ?ウソ、人なの?」 「ありがとうプロンジェ。でも…あなたのおかげで、  今となってはそれがどうなさったと笑い返すことが出来ますよ。」 シングレースが心底驚いた様子で叫ぶのを見て、プロンジェが苦笑いを浮かべ、シェリーを気遣う。 そのことを説明しても信じないシングレースに、プロンジェは少し呆れている。 長く続きそうな口論にシェリーがサッと割り込み、仲裁をする。 それを受けたプロンジェは、主がそういうのならと頭を下げ、 「…そうですか。これは失礼いたしました。」 と微笑みながら丁寧に膝をついた。それを見たシングレースは舌を巻く。 話し出した3人に置いてけぼりを食らっていたエアリーが、少し不機嫌そうに話す。 「もう…、皆今はそんな場合じゃないわよ。  シングがいつものシングに戻ったんなら…、早く、幻無とネクラを探さないと。」 「…あれ?そう言えばその2人はどうしたの?エアリー、アナタと一緒じゃないの?」 「…シング、それが、ね…。多分、あの2人…、あの2人が…。」 エアリーの声にシングレースがキョトンとして返すと、エアリーは顔を俯かせる。 落ち込んだ様子のエアリーのことを察したのか、プロンジェとシェリーは何も言わない、声もかけない。 2人は…、ただ黙ったまま目を伏せていた。 3人が暗い雰囲気になっていた中、シングレースが両手をバタバタとさせて声をかける。 「もー!!皆何暗い顔してんのよ!!ただでさえここ、暗くなりやすい場所なのにさぁ。  早く、あの2人を探して会いましょうよ!!」 「………そっ、それもそうね。」 1人声を張り上げて、困り顔で言うシングレースに、3人も頷く。 幻無が破壊して開けた穴の向こう、暗闇の方を向いて…皆そこへ入ろうと決心した。 「━━━━━………何も知らないっていうのも、幸せなことなの?」 「エアリー、どうかしたの?」 「えっ?な、何でもないわシング。ちょっと独り言よ。」 「ふーん…。…そう?」 ふと、エアリーがしゅんとして呟いた。 シングレースが振り向けば、作り笑顔を浮かべて、 最初に入ったシングレースに続き…、暗闇の中へと入っていった………。 『H-08 むきあい』に続く。